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執筆者の写真tomoka kisalagi

歌✖体と心の健康

始まりました。歌✖健康シリーズ。

このシリーズでは、歌の新たな可能性をとことん追求して参ります!



ケルタミュージックでは「歌で体と心を健康に」をメインテーマにしています。

これは私の研究テーマでもあります。勉強を重ね、まずは「歌✖健康」で導き出されるものを風呂敷に広げて、広げて、その後「こ、これは…!」という輝く原石を見つけようとする試みでもあります。


導き出されたものを組立てて編集するという作業を経ての「原石の発見」となるでしょうが、とにかくそのようにして、冒険の旅に出ようと思います。

気分はインディ・ジョーンズ。

行って参ります。



さて、本日は「歌がうまい」とはどういうことか、考えたいと思います。


声が大きい、ピッチが正確、難しそうな曲を歌っている、ただただスゴイ!等…、「うまい」と感じる要素もさまざま。好みもあります。


私が経験上思い至りますのは、

「歌がうまい」=「その人の人生がMAXで声に出ている」ということです。


ただし「人生がMAXで声に出る」というのがミソで、これが並大抵ではない!やはり技術的な研鑽が必要で、年月を要するところです。練習を重ね、少しずつ自分を表現できるようになり、唯一無二の自分の声が出てくるようになります。


唯一無二の声が出てくるようになれば、自分らしく歩んでいくばかり。MAXで魂を歌うには永遠の道のりが待っています。


逆説的ではありますが、歌のうまさは「ナンバーワン」ではなく「オンリーワン」にあると考えることで「誰よりもうまく」から解放され、「いかに自分を歌えるか」のために研鑽を積んでいけるようになるのではないでしょうか。


人生、命に優劣はなく、個性や命の輝き、時間の重みが息づくばかり。このように考えて「競争高速道路」から右折か左折してしまいましょう。

人生がイコールで声に出たなら、そこには、その人の魂しかなく、誰かと比べられるようなものではありません。


そもそも「うまくなければならない」なんてことはありませんし、「歌う」という行為を体感することに命を支える力が宿ると信じています。生活の中、もっと身近で自由な「歌う」という表現があっていい。歌は、生きる力を与えてくれる、誰もができる日常の芸術行為のひとつであると私は考えています。


「うまく歌うために」ではなく、「生きるために」歌う。体のなかにある楽器を響かせて、深い呼吸をし、「生」を感じていただきたいと心より願っています。



シリーズ一回目は、「歌がうまいとはどういうことか?」についての考察でした。



「歌がうまいとは?」→「その人の人生がMAXで歌に出ているか」→「MAXで出せるように練習する(これは簡単にはいきませんが(涙))」→「唯一無二の歌声が出てくる」



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