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執筆者の写真tomoka kisalagi

たゆたうアメリカの灰色

地球上、人が集えば衝突、摩擦の起こらない場所はないのでしょう。問題を作る(設定)するのも、判断するのも人間である限り、絶えることはないないのかもしれません。


重苦しい書き出し、諦観の境地?「アメリカが好き」と言い出すから一筋縄ではいかないようです。この日もアメリカでは、黒人男性が警官に取り押さえられて死亡した事件を受けて全米で講義デモが激化、トランプ大統領の徹底した自国第一主義が貫かれるなか、自国の政府への意見も不十分に、手離しでアメリカが好きという話ではありません。ただ、私が(皆が)好きなアメリカがあって、その「アメリカ」とは何か、見つめてきたものを書き留めておきたいと思います。アメリカの芸術/表現文化が好きと言えばシンプルなのですが、そうとは言い切れません。等身大のサイズながら、四十年近くに渡って影響を受けてきた作品は積もり、その中でふと見えた「色」があったのです。


もともと、私が歌を学びたいと留学したのも、見事アメリカのエンターテイメント、音楽の魅力によって。英語の発音、サウンドをこよなく愛するのも、アメリカの作品に魅せられてきた時間の蓄積です。齢を重ね、情報の海原を長く航海するようになると、ふとカタルシスの月夜、一体なぜ人生を左右する程アメリカ文化に影響を受けちまったのか、と星を見上げ…。では、アメリカの何に惹かれてきたのか、と、自分なりに掘り下げました。


アメリカの夢と理想、輝き。これに包まれたのは、時代とアメリカ映画の交差点にて。団塊の世代の子供たち、私を含む1970年代~1980年代生まれの子供にとって、アメリカ映画の影響は絶大でした。子供の頃の映画といえば、アメリカ!(ディズニー)、アメリカ!(ハリウッド)、ジブリ!といった具合。アメリカから大量に流れてくるスペクタクルな映画。ディズニーランドの開園は1983年。もはや溺れていたかと思うくらい「アメリカの夢」を泳いだ子供時代だったと振り返ります。日常生活には、もちろん身近な本や遊び、テレビ、ゲーム(ファミコン)も誕生、とアメリカだけに影響を受けた訳ではありませんが、映画=「アメリカ」という時代。日本を代表する映画監督 黒澤明、小津安二郎、溝口健二も、物心ついてから自発的に観たものです。彼らを尊敬するスピルバーグを真っ先に観ていました。(大好きなスピルバーグ…!)


ハリウッド映画の影響という点においては、日本だけに留まらないでしょうが、これによって「アメリカ」という強烈な存在が育まれました。もちろん個人差もあれば、もとよりアメリカ以外の国がすべて他国一括りではありませんが、映画によって多くの人に「アメリカ」の存在は、遠いはずがなぜか身近で、強烈な輝きを放ちました。


私の好きなアメリカの作品を適当に並べてみます。子供時代に関わらず、また、能動的受動的に鑑賞したもの、両方あります。

フレッドアステア、ジーンケリー、、、サウンド・オブ・ミュージック、雨にうたえば、チャップリンの映画、ライム・ライト、ニューヨークの王様、スピルバーグ、映画、映画、映画。90年代の映画の色彩、空気。ドラマ、シットコム。NYの秋と冬。

ワイエス、サージェント、ホッパー、、、ウォーホル、R.フロスト、詩。カポーティ、ポール・オースター。ジョン・ケージ、ジョン・アダムス、ライヒ、パット・メセニー。


心奪われる作品を生み出してきた作家たち。ジャズ関連は枚挙にいとまがないので割愛します。個人的でランダムな、思い付きのmy favorite things。また、チャップリンはイギリス人、スピルバーグはユダヤ系アメリカ人など、バックグラウンドは様々ですが、アメリカという地と交わり、生まれてきた作品があります。


何に惹かれたのでしょう?輝いていたアメリカの夢と理想。アメリカンドリーム。夢を生み出す根底にある本質は何か?映画「グリーンマイル」で、コフィがある局面で望んだ映画鑑賞、フレッドアステアの歌と踊りがありました。cheet to cheek。あの瞳の輝き、あれこそ夢ですね。


心を捕らえる光をかき分けていくうち、私は一つの色を見出しました。アメリカとしかいいようのない色彩、それが「灰色」です。アメリカの輝きの奥に灰色の源流があると、個人的な解釈に至ったのは、数年前のことでした。


ワイエスの絵からは「グレー」という色彩について、どこか連想させる印象をお持ちいただけるでしょうか。ホッパーの絵、カポーティはどうでしょうか。音楽では、ジョン・アダムスの「city noir」、これは連綿と紡がれてきたアメリカの灰色の先端だと、初めて聴いた時、胸の高鳴りを抑えられないほどの感興を覚えました。無機質な灰色に人工的な明かりが明滅します。それから、私はパット・メセニーが大好きなのですが、パット・メセニーの何が好きか考えますと、これまたアメリカとしか言いようのない香り立つものがあり、とにかくこのようにして、作品群と対話していくうちに見えてきたのが「灰色」だったのです。


牧歌的で、どこか冷たい、狂気じみた、人工的な灯り、無機質な灰色のダダイズム。エッセンスを書いてみると、アメリカの夢、理想、エンターテイメントの輝きとかけ離れているようですが、輝きの奥底にあるのは、こうした灰色の流動と、私なりに感じ取りました。


以来、「アメリカの灰色(グレー)」は心の宝石箱に仲間入り。ハリウッド映画の華やかさの奥に潜むアメリカの灰色。なぜグレーなのか、私が勝手に解釈したことではありましたが。


さて、先日遅ればせながらクリント・イーストウッド監督の「15時17分、パリ行き」(原題 The 15:17 to Paris)を鑑賞、魂が震えました。久しぶりに希望を、アメリカの潜在的な輝きを見た気がしました。久しぶりに、この灰色が想起されました。

映画を観て、訳もなくまだ大丈夫だ、と、アメリカのグレーが輝きを失うことなく紡がれていく、きっとまた、新たな理想が生まれると、そんな風に、少し楽観的なインスピレーションを得ました。光を当ててくれたのはイーストウッド監督。すべては無限の可能性を持つ一人一人の力で、それを発揮できるのがアメリカだと、のはずだと。


アメリカで行わてれる抗議デモで、共に歩こうと声を挙げた保安官 #walkwithus、膝をついた警備隊等、ニュースを目にし、三度アメリカの灰色を想いました。それからふと、「灰色」は黒と白を混ぜた色であると気付きました。アメリカは最初から、白と黒、その間にこそ存在するのだと、なぜアメリカが好きか、アメリカの何が好きだったのか、バラバラのピースがつながったような気がしました。


このグレーは、私には夢の憧憬。人類の歴史にこの色彩がなかったら、とてもさみしいように思われます。他の色彩だって、一つとして欠ければさみしいのですが。


問題は絶えず、根深い差別問題に悲しみや怒りが癒えませんが、それでも、絶望の0ではないと、アメリカが灰色の光を失わず、希望も絶えることはないと期待したいです。個人的には、これからも私の好きなアメリカのグレーを、己なりにこねくり回しながら、もはや原型がわからない形で、生かしていきたいと思います。


大小問わず、世界で/身の回りで、今在る現象に行き詰まった時、敢えてリズムやタイミングを変えることで、滞留している熱量を分散させる。クラスターの発生を避けて、鎮めることができる。ーコロナ禍にあって、友人が音楽の理論から発見した自然現象の真理ともいえる、あえてタイミングをずらして生きるという発想は、持続可能な社会活動を目指すこれからの時代に新しいアプローチになると確信しました。私も己のスケールにこれを取り入れるように意識することで、少しずつ新しい息吹を感じています。



こうして、人は旅を続けて、何かを思考して、新たに辿り着いた地平で、言霊を発します。

表現のアプローチ、表現が一新するのは、こんな時かもしれません。



長くなってしまいました。お付き合いいただき、ありがとうございます。


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